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 フランス・パリに生まれ育った『パリジャン』のオーナーシェフと、自然あふれるここ霧島で生まれ育ったパティシエが夫婦で営むあたたかいカフェ、それがCafe le Parisienです。開店当初のフランス家庭料理のレストランから、装いを改め、シェフの幼少期にヴァカンスで過ごしたフランスの田舎ブルターニュの料理を再現します。

カフェルパリジャン自家菜園

フランス料理自家菜園

季節のとれたて野菜をお料理に・・・。 農業初心者から始まった、シェフの自家菜園では、日本でとれる野菜だけでなく、 フランスの野菜やハーブなどを地元農家や苗もの屋さんのアドバイスをもらいながら育てています。 愛情たっぷり注いで育てたお野菜を味わうのも、当店の魅力のひとつです。

そば粉の栽培

  • そば粉1
  • そば粉2
  • そば粉3
  • そば粉4
  • そば粉5
  • そば粉6

蕎麦の栽培を始めた2020年、順調に成長した蕎麦はこの手で刈り取り、この夏からガレット生地になります。

ガレットオニオンのこだわり 玉ねぎの栽培からオニオンペーストができるまで

シェフ・ティモテの自慢のガレットオニオン。実は手間暇と愛情がたくさんこもっています。
材料となる玉ねぎは、種から育てて収穫し、時間をかけて仕込んでやっと、お客様の口へと届きます。

  • 夏の残暑が落ち着く9月、種まきの季節がやってきます。『しっかり育つ苗になれ』水と愛情を注ぎます。

  • すこし朝晩冷える月、11月の上旬に、程よい丈の苗たちを広い畑に植えつけます。根付くまでの2週間、欠かさず水をかけ続けやっと根付いたその後も、しっかり見守り育てます。

  • 春を迎える3月は、成長期となる玉ねぎの脇で成長し始める雑草たちを抜き取って収穫時期に備えます。

  • 6月、梅雨に入る前、三日以上の晴れた日が収穫できるタイミング。夏に近づく太陽と風に吹かせて乾かして、ハウスの屋根で梅雨をしのぎ、使える分ずつ調理場へ。

  • 皮をむいたらスライスし、バターとともに大きさな鍋へ、ここからじっくり炒めます。炒め続けて三時間、鍋のまえから離れずに、ときどき混ぜて仕込みます。

  • 香りたちこめあめ色になったらワインと塩・胡椒、そして秘密のかくし味、調整したら出来上がり。

パティシエヒストリー

オーナー・シェフ Timothée Béguin

フランス料理シェフ

1982年 12月4日 フランス・パリに生まれる。 ものごころ付いた頃からお菓子が大好物。

フランス料理シェフ

1994年(12歳)~ 学校に通学しながら、夏・冬休みにアルザス・ストラスブールのパティスリーでStage(研修)を始める。 以来、夏・冬のバカンスはパティスリーや、ブーランジェ、ケータリングなどでStage(研修)をしながら青春時代を過ごす。

フランス料理シェフ

1999年(16歳) ル・コルドンブルー・パリに入学。 就学中 ホテル ル クリヨン、ジェラール ミュロほか、パリの有名ホテル、レストラン、ブーランジェ、パティスリーなどでStage(研修)を行う。また、当時は、日本人の留学生が最も多く、この頃から日本への興味を抱きはじめる。

フランス料理シェフ

2001年 Le Grand Diplôme を取得。 卒業後、自分の店を持つことを目標に、パリのショコラティエLaduréeに勤め、接客・サービスを学ぶ。このとき、毎日たくさんの日本人観光客がLaduréeのお菓子を買いに来ることに驚く。

フランス料理シェフ

2003年(20歳)以前から気になっていた日本にワーキングホリデーで初来日。日本語を覚える為、ウェイターとして「マリアージュ・フレール」に入社。妻 Kyoko と知り合う

パティシエ Kyoko Béguin

フランス料理パティシエ

1978年11月21日 鹿児島県・霧島市に生まれる。 子供の頃からお菓子を作ることに興味はあったが、家にオーブンがなかったので蒸しパンやドーナツぐらいしか作ることができなかった。

フランス料理パティシエ

1997年(18歳)地元の高校を卒業後、鹿児島の短大に進み‘家庭科’の先生を目指すが、調理の講義を受けているうちにお菓子を作ることに目覚めてしまい、方向一変。短大卒業後はパティシエになろうと鹿児島の洋菓子店の見習いからスタートする。 ある日、連休にフラフラっと東京見物ひとり旅。 東京の色とりどりに飾られためずらしいお菓子たちに魅了され上京を決意。

フランス料理パティシエ

2000年(21歳)東京へ。 職探しで、まず目に留まったのがフランスに本店を置く「マリアージュ・フレール」の募集。履歴書を送るが、シェフクラスのパティシエの募集だったようで、不採用。 あえなく他のケーキ屋さんで働くが、パティシエ見習い…というよりまずはデパートでの販売がほとんどだった。 二年目に入り、ようやくお菓子に触れられるようになったところで、憧れのフランスの名店「マリアージュ・フレール」からの誘いがかかる。 早速、面接後、1日のStage(研修)を経て、採用される。 厳しいシェフの下、パティシエの基礎を学ぶ。

フランス料理パティシエ

2003年 夫 Timothéeと知り合う。

マリアージュフレール

出会ってからフランスに行くまで

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2003年 二人はお互いに‘お菓子が好き’ということで意気投合。「自分たちの店を開きたい」という二人の歴史がスタートする。

霧島市カフェ

2004年 フランスに一時帰国するティモテと同時に、キョウコ はワーキングホリデーを利用し渡仏。ストラスブールのパティスリーでStage(研修)し、パティスリー、ヴィエノワズリーなどを学んだのち、フレンチアルプス・ムジェーヴのレストランで共にキュイジニエ・パティシエを勤める。

フランス

2005年 再び日本に帰ってくる。ティモテは昼間、日本語学校に通い、夜と休日は広尾のカフェデプレでギャルソン。キョウコはやがて必要になるであろう開業資金を稼ぐ為、昼間は営業事務、夜と休日はティモテと共にカフェデプレでサーブーズとなる。

フランスで働く

2006年フランス・ブルターニュでMariage Civil~役所での結婚式~(日本でいう入籍)

霧島で結婚式

カフェデプレが、店舗改装に伴い閉店する。その後当時の同僚に誘われ、懐かしいフランスのスタイルをそのまま再現したカフェ‘オーバカナル’でギャルソンを務める。二人で店を開く夢は変わらず、開業資金をアルバイトで稼ぎながら東京で開業を試みたりもするが、年に数回訪れたキョウコの実家、霧島の美しい自然・すぐ近くにある海と山、そして温泉に魅了され、移住して開業することに。東京からの移住計画と開業計画、そしてまだ行っていなかった結婚式の準備で忙しい日々が続く。

霧島で結婚式

2008年4月 霧島市の教会(Café le Parisienの隣)でフランスの家族を呼んで結婚式をあげる。 同年 5月 Café le Parisienを開く。

霧島で結婚式

2018年、ちょうどCafe le Parisienが10年目を迎えようとする春、ティモテは原因不明の病に倒れる。これまでの過労とストレスがもとで、神経の障害に苦しむことになる。

霧島で結婚式

様々な病院で入退院を繰り返し、検査、治療、リハビリなどを重ねること約2年…長い闘病生活にお世話になった医師、看護師、そして妻京子と家族や友人達に支えられ、ようやくCafe le Parisienを再開するところまでたどり着いた。

霧島で結婚式

2020年7月1日、これまでみなさんに愛されてきた当店を、もっと気軽に身近に味わえるよう、新しいスタイルにリニューアルして営業再開。

霧島市カフェルパリジャンの場所